特定非営利活動法人

山梨の自然災害史1;過去の豪雨災害(南部町の事例)

山梨県では、台風などの豪雨により過去に何度も河川の氾濫などに伴う豪雨災害が発生しています。
ここでは南部町(旧南部町)を例にして、山梨県における豪雨災害の歴史の概要を見てみましょう。


南部町で発生した過去の主な豪雨災害の一覧
下の表に、南部町で過去に発生した豪雨災害の主なものを列挙しました。(出典;改正南部町誌(H11)の記載をもとに編集)
西暦
年号
災害区分
旧南部町地名・地区
旧南部町の被害内容
備 考
1928
文政
11
台風
辰新田より松崎、南田、矢崎、日影島、中野村、北坂 等
富士川堤決壊約20箇所、田畑流出、家屋流出11戸
江戸期から現在に至るまでの最大の台風による洪水
1855
安政
2
大雨
戸栗川、柳島
田畑流出
安政地震(1854)による斜面崩壊が土石流の供給源になった
1876
明治
9
大雨
富士川、戸栗川、船山川
富士川破堤5ヶ所、戸栗川破堤5ヶ所、船山川破堤2ヶ所
荒川、桂川、富士川、釜無川の増水甚だしい。全流域で死亡7名、流出家屋83戸、堤防決壊676箇所
1898
明治
31
大雨
富士川、戸栗川、船山川、小川、塩沢川各流域
堤防決壊881間、耕地流失2町9反、家屋流失26棟、家屋浸水62棟、船舶流失10艘、道路欠所192間、橋梁流失1ヶ所、温井川斜面崩壊
富士川流域の被害が多い。成島大日向山(戸栗川流域温井川)で斜面崩壊が発生し、天然ダムの形成、決壊、土石流と展開し戸栗川流域は大被害を受ける。同年4月の地震(M5.9)の緩みと豪雨が原因との推察あり。県全体では死者150名、流失家屋450戸、赤痢流行。
1907
明治
40
大雨
富士川、戸栗川、船山川、小川、塩沢川各流域
堤防決壊339間、耕地流失5町2反、家屋流失6棟、道路流失754間、斜面崩壊15町5反
五十万県民が死地に陥った大厄。県全体で死者232名、家屋全壊1267戸、家屋流失4500戸、堤防決壊98916ヶ所。
1910
明治
43
大雨
富士川流域、北坂、岬原前田、井出区
北坂道路破損、岬原前田畑地流失5,6町歩、井出区では田畑流失4反、耕地浸水4町歩、道路埋没31間、堤防破損93間等
県下一面大洪水。荒川、塩川が大氾濫、甲府盆地南部一帯被害甚大、その面積は40年水害に劣らず。旧南部観測所の総降雨量は654.4ミリ。御料林の荒廃が水害の原因であるとして、恩賜県有財産管理規則を交付。
1914
大正
3
台風
富士川流域、東町、柳島、戸栗川、北坂
柳島諏訪製糸場流失、戸栗川橋損壊、東町裏以南桑園浸水1町5反、北坂県道流失30間
睦合観測所降水量390ミリ
1959
昭和
34
台風7号
旧南部町全域
堤防決壊22ヶ所、耕地流失冠水50町歩、橋梁流失12ヶ所、道路決壊97ヶ所、山地崩壊58ヶ所、罹災世帯480戸、軽傷16名
台風は富士川を北上。旧南部観測所総雨量389.3ミリ。明治40年以来の大水害。特に下井出の被害が大きかったようだ。全県で死者行方不明者80名。
1959
昭和
34
台風15号
旧南部町全域
罹災世帯90戸、重傷2名、全壊家屋6棟、半壊家屋76棟、床下浸水8棟
伊勢湾台風。台風の中心は本県から200kmも離れて通過したにもかかわらず、非常に強い風が長時間にわたって吹き荒れた。南巨摩郡下の他町に比べて軽微であった。
1966
昭和
41
台風26号
中小河川
中小河川の氾濫、内船居里で土石流、女児死亡
足和田村根場地区、西湖地区で被害甚大。世に「足和田台風」という。南部町の総雨量は253ミリ。全県で175名死亡。
1982
昭和
57
台風10号
旧南部町全域
町道佐野線決壊32ヶ所、万栄橋流失、富栄橋変形、下井出地区水田埋没
昭和34年以来の大被害。台風の進路が本県の西よりとなったため、風雨ともに強く最悪の状況となった。旧南部町の総雨量は620.7ミリ。富士川の多くの長大橋が流失。旧南部町総被害額7億円。
1983
昭和
58
台風5,6号
富士川、戸栗川流域
火祭り「百八たい」流失、戸栗川橋歩道橋落下
旧南部町の総雨量は691.0ミリ。
1985
昭和
60
台風6号
佐野地区
佐野地区の土砂崩れで家屋全壊し死者1名
旧南部町の総雨量は347.6ミリ。
1991
平成
3
台風18号
南部区明治町
水路の水が溢れ多くの家屋が浸水
旧南部町の日雨量としては明治43年観測以来の最高値424ミリを記録。

この表は災害記録の一部ですが、過去において人身にかかわる豪雨災害が頻繁に発生していることが伺えます。
人々はその時代その時代において、様々な災害防止対策を講じて自然災害と戦ってきたとも言えるわけですが、自然の計り知れない猛威に対しては、完璧な防止対策はないと言えるでしょう。
以下に、過去の豪雨災害時の被害状況の写真を載せました。(画質が悪いのはご容赦ください。)

昭和34年、台風7号による豪雨被害の写真1

昭和34年は、8月の台風7号と、9月の台風15号(伊勢湾台風)の二つの台風に相次いでみまわれ、多大な被害を受けました。
この写真は台風7号により富士川が氾濫し、富河小学校が水没した様子です。
(写真は南部町誌より抜粋)

昭和34年、台風7号による豪雨被害の写真2

同じく台風7号により富士川が氾濫し、福士町屋付近の家屋が水没した写真です。。
(写真は南部町誌より抜粋)

昭和57年8月、台風10号による豪雨被害の写真


昭和57年8月、台風10号による豪雨で、富士川が増水、氾濫し、富士川沿いの各地で大きな被害が発生しました。
写真は、南部町の富士川にかかる万栄橋が流失した様子です。河川の流れの勢いのすごさを物語る光景です。
(写真は南部町誌より抜粋)

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