特定非営利活動法人

第2回現地観察会 幸田文「崩れ」の世界 〜大谷崩れを歩く〜
        2010年7月31日 に実施しました。マイクロバスを利用し、13名が参加しました。

緑豊かな自然の中で山が崩れ、川が荒れる。「崩れ」その風景はなんと切なく胸に迫るものか。
生あるものの哀しみを見つめる名作「崩れ」。自然と人間を考える をテーマに、「大谷崩れ」の現地
を訪ねました。



・観察会の日程とコース



参加者の皆さんです。

今回の観察会は13名が参加しまし
た。背後に見える崖が「大谷崩れ」
(の一部)です。




・観察ポイント1 ;大谷崩れ

大谷崩れの説明看板。

「大谷崩は宝永4年(1707年)の大
地震より大崩壊したもので、崩れの大
きさは、高さ約800m、面積
18000000m2、崩れた土砂の量約
120000000m3にも達しました。」と書
かれています。
大谷崩れの崩壊箇所の様子。
大谷崩れの一番奥まった箇所の様子
です。この写真の左右側にも崩壊地
形が続いています。

崩壊地形は対策工事により少しずつ
緑化されています。
岩石が露出した崖を緑化することで新
たな崩壊を防止する効果が期待され
ます。

当日は国土交通省の担当者の方
に、大谷崩れの説明をしていただきま
した。パネルを使った分かりやすい説明
でした。

静岡河川事業所の砂防事業全般に
ついてその概要を説明していただきまし
た。
大谷崩れのある安倍川は河川の勾
配がとても急で、上流からの土砂の流
出が多く、災害の起こりやすい河川で
す。災害防止のための砂防施設の工
事が行われています。

大谷崩れからの土砂の流出の説明を
図を使ってしていただきました。
大谷崩れの崩壊土砂は5km下流で
天然ダムを形成して停止したそうで
す。

安倍川砂防事業の概要の説明で
す。
山腹工、床固工(とこがためこう)、砂
防堰堤などの施設により対応していま
す。

大谷崩れの崩れた跡には柵工という
工法で緑化対策がなされています。
崩壊地を緑化するには長い年月が必
要です。
写真では左上が柵工を施工した時点
で右下がその5年後の写真です。5年
で表面がどうにか緑で覆われ始めた感
じです。

大谷崩れの山腹工の説明です。
崩壊斜面に柵を作り土を入れ草や木
を育てます。
こうすることで、崩壊の新たな拡大を
抑えることができるということです。

今回の観察会では、以前の講演会で
幸田文の「崩れ」朗読していただいた
朗読ディアマイフレンドの加藤 礼子さ
んも参加され、大谷崩れを前にして
「崩れ」の一節を朗読していただきまし
た。ありがとうございました。

・観察ポイント2 ; 登呂遺跡

登呂遺跡(とろいせき)に立ち寄りまし
た。

Wikipediaによると、「登呂遺跡は、弥
生時代の集落・水田遺跡のひとつ。
静岡県静岡市駿河区にある。昭和
27年に国指定特別史跡に指定され
た。弥生時代後期に属し、1世紀ごろ
の集落と推定される」とのことです。

復元された竪穴式住居の中も見学で
きます。
展示館は工事中で見ることができませ
んでした。

・観察ポイント3 ; 白鳥山の崩壊跡の見学
            雨がひどくなったのでバスの中からの見学となりました。

この写真は以前に撮影したものです。
中央のくぼんだ箇所が崩壊跡で、宝
永地震(17071年)で崩壊した箇所だ
そうです。この時、崩壊土砂は山裾を
流れる富士川の対岸まで達し、7棟
22人が犠牲になったということです。
この崩壊地ではまだ落ち残っている部
分があり、将来予想されている大地
震で再び崩壊する危険性が指摘され
ています。

                                                                          文責 (瀬田)
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